ヨガの屍のポーズ(シャバーサナ)による臨死体験と幽体離脱

スピリチュアル全般

通称デッドポーズ、屍のポーズ、死体のポーズといわれており、

仰向けになって、足を開いて、手を広げて手のひらを上に向けた姿勢をとるのですが、一般的には呼吸を落ち着けてリラックスするという話で、最後にはーすっきりという形で終わるヨガのポーズですね。

 

残念ながら集団でやるといびきをかいて寝てしまう人もでるわけですが、ある種、私から見ると安易なポーズとして活用されているのかなと思ってしまったこともあります。

 

私はヨガスタジオなどで形だけでやっているポーズの繰り返しは、美容とか健康などの効果効能で走っている姿にあまり共感を覚えません。なぜなら、ヨガのあらゆるポーズは、エネルギーの循環を感じながら行うものですものね。そして、最終的には瞑想に通じていくために、体のあらゆる骨格やエネルギーの調整を行っているわけですね。

 

と言ったものの、実は私はヨガをあまり習慣にしておりません。以前、瞑想を通じてヨガも同時に実践していたことがあり、その際によくヨガの呼吸法とかポーズをしていました。その際に、シャバーサナのポーズをやっていて、このポーズは本当に死のポーズだとわかったので、みなさんにそろそろシェアしたいなと思った次第です。

 

まさにシャバーサナは、これは文字通り死のポーズです。もしくは死の練習のポーズです。

 

みなさんは臨死体験の話や死の瞬間に訪れる状態をご存じでしょうか。

様々な臨死体験の話やチベット死者の書という本には、この入口の話が明確に記載されております。

臨死体験やこのチベットの死者の書の中には死の瞬間に光明に出会うという表現があります。まばゆい光の中に入る体験が報告されています。これは絶対安心に満ちた愛のあるまばゆい光のような状態という表現で類似している側面が多いです。

 

そして、まさに光明に出会うポーズがシャバーサナとなります。

 

ここからが私の体験を含めて話しますね。

シャバーサナのポーズをとって、全身の力を抜いて、すべての力が抜けていく過程で、体が透明になり、自身の体の感覚はなくなっていきます。徐々に体の状態が変性してきて、ある時にふっとまばゆい光の中に入っていくんです。

この状態になると意識を戻さない限りにおいては、体が動かない状態になります。エネルギーの塊となって光の中に入っていきます。この光は、まばゆい光で、無量の光とでも言いましょうか、そういった安心の光に全身が満たされていく感じです。

光の中に入っていくときは、全身が喜びのエネルギーに満たされているんですね。

そしてさらにいくと体は幽体離脱していくわけです。

 

私は幽体離脱していくところまで行ったら、ふっと体をもとに戻してしまうので、その先を見たことがないです。というよりさすがに死のポーズなので、本当に死のプロセスに酷似しているため、これ以上いくことをためらってしまうというのが正直なところです。

 

こんな状態になるのですから、私はシャバーサナを遊び半分でやるポーズではないと感じていますし、ダンスのようにヨガをやっている方々が、安易に教えているのが私にはちょっと不思議ならないです。

 

ここまで話しましたが、このような体験を得るには、ある程度のヨガのはっしそく(八支則)の実践による浄化のプロセスを行わないとシャバーサナをやっても意味がないとは感じています。仏教でいえば、十善戒のような形ですね。ただ、ある程度徳を積んだ方がやると、いっきに同様の状態になるのではないかと感じています。

 

まとめです。

シャバーサナは、屍のポーズといいますが、本当に死のポーズです。そしてこのポーズを行っていくと臨死体験者が語っているまばゆい光に包まれていきます。そして最終的には幽体離脱のような経験をする方もいるということですね。

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