今回は、アフリカのティンガティンガというアートを学びに行ったショーゲンさんが、プンジュ村の村長さんから、村長のおじいちゃんがシャーマンであり、夢の中で日本人から学んだことがブンジュ村の思想に大きく貢献していました。このシャーマンの言葉を学びながら日本人が大切にしなくてはならないことを、一緒に考えていきたいと思いました。
■はじめに
ティンガティンガというアートは、黒、白、赤、青、黄色、緑の中から6色以内の色を使ってペンキで描くものです。これを学びにいったショーゲンさんが、ひょんな縁で出会った現地の方から、お誘いを受けて暮らした村がブンジュ村です。ブンジュ村は200人ほどの小さな村で、日本人で生活を共にするのが初めてという村だったんです。そこで出会った人たちからたくさんのことを学ぶことになったんですね。ブンジュ村には1年半いたとのことです。それでは次にブンジュ村の文化を象徴するお話をしていきたいと思います。
■①ブンジュ村に伝わる「幸せの3か条」
ブンジュ村に到着した初日、村長の家にいって、言われたのが
「ごはんを食べられることに、幸せを感じられるか、
ただいまと言ったら、おかえりと言ってくれる人がいるか、
抱きしめられたら、温かいと感じられる心があるか。
この3つがあたなの中にあるんだったら、村においで」
ブンジュ村の土台を形成しているのは、シャーマンであった村長のおじちゃんの夢の中で出てきた縄文時代であろう日本人から学んだことなんです。この3つの幸せの3条件ってすごくシンプルですけど、愛に満ち溢れていますね。食事は生命のやり取りですね。生きとし生けるものを頂くという神聖な行為を食事の際にしていますね。今忙しくなった日本人の中には、出てきた食事を無言で食べ始めるような光景がありふれてきています。しかしながら、今申し上げたように生命を頂く神聖な行為の前で、日本人は手を合わせて頂きますという言葉を発してから食べることを実践していましたよね。これは他の宗教文化でも類似した姿勢もありますよね。こういった感謝の思いを乗せて、手を合わせ言葉をのせるということが、食事に対する姿勢としてはとても重要ですね。次に「ただいま」と「おかえり」というこのやり取りってとても大事な挨拶ですよね。挨拶というのは、もともと心を開くという要素が入っています。私たちはこういった温かいやり取りを大切にしていたから、こういった習慣が残っているわけですね。最後に抱きしめられたら温かいと感じられるかということですが、日本人よりも欧米人のほうが大切にしているように感じますが、日本人の場合は子供と母親のシーンはイメージしやすいですね。抱きしめるという事は、人の魂の中核を互いに合わせる行為ですよね。この行為もとても神聖な行為なんですよね。こういった文化を大切に継続して暮らしているのがブンジュ村なんですね。
■②おじいちゃんは、シャーマン
そんなある日のこと、村長がやってきて自分の家に来なさいと言います。
いつになく改まって村長が言いました。
「実は、この村の先輩は日本人なんだよ」
「うちのおじいちゃんが言っていたんだ」
おじいちゃんは、村で祈祷とかご神事をやっている、シャーマンだったと言います。
振り返るとこの日本人というのは縄文時代の日本人のことを指しているようなんですが、私たち現代の日本人にはショーゲンさんの当初の姿のように心の余裕がなくなってしまいますよね。すごくイメージしやすく、ハッとなるシーンですよね。ずっと時間に追われてしまっていますし、自分の心を壊しても働き続けたり動き続けたり、忙しくしていることが通常という形で、何かをしていないと不安になるような姿が垣間見れますよね。この心の余裕のなさが、心身をすごく乱してしまっています。何か大切なものを見失った日本人を思い出させてくれる本が、この本なんですね。続きをすすめていきましょう。
■③日本人の所作
「日本人は、ふだん当たり前にやっている所作の一つひとつを、愛していたんだ。
水を手ですくう時の手の形すら、愛していた。
息を吐いている時の自分、息を吸っている時の自分。それをこの上なく愛していたんだ。
この内容は何か外に、自分の世界とは離れたところに幸せがあると思っている現代日本人とは、まったく異なる姿を示していますね。元々、これだけ科学が発達する前というのは、村とか地域単位ですよね。ですから情報や必要なことも身近にあったわけです。身近にあったという事は、もっと身近で目の前のことを大切にしていた。もっと目の前のことに幸せを感じていたのが、日本人だったということですね。逆に言えば、身近な世界で十分満たされていたため、外に目を向けることよりも、身近な目の前のことを大切にしていたということです。これって言い方を変えるとマインドフルネスに生きていたということです。全身全霊で、喜びを感じながら人や自然と調和していたということですね。そして、目の前のことを大切にできるほど心の余裕のある人は、愛に満たされています。愛に満たされた人間は、いわゆる自他を分け隔てる境界線がなくなってきますね。また地域を大切にしないと、暮らしを保つこともできませんね。そうすると、地域の人や物、自然など全てのものを大切にして、今を生きることが自然とできていく様相があったのだと感じます。
■④虫の音を聞ける日本語の秘密
シャーマンのおじいちゃんは、こう言っていたそうです。
「日本人こそが俺たちの先輩で、真のアニミズムなんだ。
自然災害が来ないように、自然に対して手を合わせるという心がみんなの中にある。
地球上で、虫の音がメロディーとして聞こえる、虫と会話ができる稀有な民族が2民族だけいて、それが日本人とポリネシア人なんだ。」
村長は言いました。
「虫の音がメロディ―として聞こえる、会話として聞こえる、その素晴らしさは、当たり前じゃないからね。なんでそういう役割を日本人が与えられたのか、ショーゲンはもう気づいているでしょ?それがすで日本人にはわかっているからだよ。だからそれを伝えていく役割が日本人にはあるんだ。そのことに気づいてほしくて、ずっとずっとショーゲンに語ってきたんだよ。」
虫の声をメロディーできこえるのは、世界でも限られた民族にしかないそうです。京都の鈴虫寺は、海外では騒音寺と言われているという話がありますね。それだけ虫の音というのは、まったく違って聞こえているということですよね。これが母音を中心に使っている民族だからという話がありますね。日本人とポリネシア人は母音を中心にしているため、これが他国の言語である子音中心の時代とは大きく異なる特徴を有していますね。虫の音も左脳で処理していて、海外では右脳で処理するため、音として雑音になってしまうようなんですね。この母音で生きられた社会がどのように発生したのか。これは子音というのは切っていきますよね。一つ一つを分けていく仕組みになっています。そして主語を強調して、私はということで、私と他のものを分けていくような文脈構成になっていますね。母音というのは母の音ですね。ですから愛に満たされた世界でしか、構成できない言語です。言語はそもそも周波数ですから、日本人の中にアミニズムという、全てのものに魂が宿る、もしくは全てのものと調和して愛で満たされた世界が何処かに垣間見えるんですね。これを村長は取り戻してくださいと言っているわけですね。
■⑤日本人に虫の音が聞こえなくなった時、地球の破壊が始まる
「口を酸っぱくして言うけどね、ショーゲン、心に余裕をもってね」
僕は、毎日毎日、そう言われ続けていました。
実際、僕は全然、余裕がありませんでした。
あの夜、とてつもなくプレッシャーになる言葉を、村長から聞いたんだす。
「この世が滅亡する時は、日本人人虫の音が聞こえなくなった時だよ。
つまり、自然と対話できる人がいなくなった時に、地球の崩壊が始まる。」
みなさんいかがですか。余計な言葉がいらないくらい、自身の心に響く内容ではないですか。心のゆとりを大切にする。みなさんが心現れる瞬間ってどんな時でしたか。子供のころに空を見上げたり、自然の中で楽しく遊んだりした記憶はみなさんにあれば、どんな感覚であったかわかると思います。今でも大人になってふと疲れたと感じた時に、自然はどのような形で私たちを迎えてくれていますか。こういった感覚を取り戻して、日本人は、少しずつ心の余裕を取り戻し、自然との関係はもちろんのこと、人との関係を大切にしていくことが重要なのではないでしょうか。
★引用参考文献:『今日、誰のために生きる?—-アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語』ひすいこたろう (著), SHOGEN (著) 廣済堂出版
コメント