【並木良和さん】真実を知ろうとすることの注意点と統合への道について

並木良和さん

①目に光がないゾンビみたいな人

私たちは、日々の生活で受動的な生活をしていると、ゾンビみたいにみんなで同じような事をしているということがありますね。何か機械的で、自分の個性やらしさを失って、何かイキイキしない心地悪さを感じながら、背筋が曲がり、何の目的もなくウロウロしている状態ですね。並木は目に光がないゾンビみたいな人がいるといっていますね。魂がきれいに収まらず、ズレてしまっているという表現もされており、その隙間に魔が差すようなことが起きているとも発言されていますね。日本人は、直近までみんな同じように、平均とか標準とかを大切にしてきていましたね。昭和であれば、三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)をみんなあこがれてみたいなものに象徴される、みんな同じ状態になっていくことで、変な安心感や一体感を作っていたところもあったわけです。ちょっと前までも家を持っていること、車を所有していることを美化したような時代もありました。これがシェアリングエコノミーが進展して、所有していることから一定の期間使うみたいなシェアの流れも出てきていますね。こうゆう新しい価値観が勢いよく生まれてくる中で、価値観が多様化しようとしている流れが生まれようとしている反面、みんなで同じようにしようとする力は、いまだに根強いように感じます。そういった意味でそれぞれ個性を大切にすると言っている反面、町を歩いていても何か目が輝いていない人が歪んだ個性みたいな感じで踏ん張っている感じで、ストレートネックで背筋が曲がった人が町を目を輝かせていない状態で歩いているのを私も感じています。一言でいうと活力がないんですね。イキイキしたい、楽しみたいのに、何か物足りなさやアリジゴクのように振り回されている現代社会でうごめているようなエネルギーを感じるわけです。

②真実を知ろうとすることの罠

こんな中でスピリチュアル界隈では、真実を知ろうとするために情報が拡散されている状況が見られていますね。これは、2025年に向けた動きですね。私もこのタイミングで情報が拡散されているので、つい先日までたくさんの情報を浴びてしまって、すごく興味関心が強いのですが、きりがないなと感じてしまう側面を感じていました。並木さんが真実については、真実を知るのは非常にトリッキーなことという表現をされておりました。また、あなたが本来の情報を知るために生まれてきたわけではない。真実で争いが生まれている。論争みたいな形でバトルが起きている。本末顛倒になっている。真実の情報を探っていくことをしていくと迷路の中に迷い込んでいくという表現をされていたんですね。これは、非常にインパクトのある表現でした。真実の情報を探っていくのは、確かに面白いんですね。これは知的好奇心から生まれますし、次から次に違った情報に触れることで、点と点が線につながることの面白さが体験できるわけですね。ただここでもう一度振り返られなければならないのは、思考の罠なんですね。ここには情報を受けて、思考を繰り返していく、統合への道と真逆なことが行われています。昔は、よく坐禅の先生に対して、考えたことを質問してることが、すべて真相から遠ざかっているやり取りをたくさんみてきました。これは、思考では真相は覚知できないからですね。ですから情報には思考の罠があることをもう一度あらためて自覚していく必要があろうかと思います。

③今一度原点になってみよう

ここで並木さんの発言を踏まえて情報の罠、思考の罠を振り返ってみましょう。並木さんは、次のように発言されています。

「真実の情報を知ることは、目を醒ましていくことではないです。自分を統合していくことです。真実を探るのはあなたがしに来たことではない。本気で人生を生きてください。自分を統合していくと全部わかります。」

この発言を受けて、もう一度私も含めて立ち返りたいところは、目を醒ますこと、統合していくことをしに生まれてきたことをもう一度立ち返ってほしいと思っています。情報や真実を探ろうとすることは、周りに振り回された人生を送ることに繋がってしまいます。周りがどうか、人がどうかというのは、統合していくことには必要がないテーマです。並木さんも人はほおっておいてくださいと発言していますよね。私たちたちは、どこまでも自身の内側に統合のヒントが溢れています。自身の外側はイジュージョンで埋め尽くされています。そして外側の情報で真実を探求する思考の罠は、統合を遠ざけてしまいます。魂の発展には直接的にはつながらないんですね。ですからもう一度、自戒の含めて統合の道を歩んで、心軽やかに日々を過ごしてほしいなと感じています。

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