エックハルト・トール「思考の夢から目覚めること」

スピリチュアルメッセージ

今回は、エックハルト・トールさんの著書の中から、思考の罠から目を醒ますために必要なことを、2つのテーマに分けて、一緒に学んでいきたいと考えています。

思考とは何か

ほとんどの人たちは、自らのつくる思考という檻の中で、人生の大半を過ごします。過去によって条件づけられた、自らこしらえる狭量な「偽の自己」の枠を超えることができないまま、一生を終えてしまうのです。

人間の中には、思考よりもはるかに深遠な意識の領域が存在します。そして、それこそが、「本当の自分」の本質なのです。それは、「存在」「気づき」「条件づけられていない意識」と呼んでもいいでしょう。

思考がつくる小さな「わたし」が、自分の知るすべてであり、その小さき自己が人生を動かすエンジンであるかぎり、人間は、自分自身を含め、すべての人に苦しみをもたらします。けれども、条件づけのない意識の次元にいたることで、あなたは自分自身を、さらにはこの世界を、苦しみから救うことになるのです。

そこで、みなさんに、これまでにない、スピリチュアルな習慣を提案します。それは「心に浮かぶ思考を、あまり真剣に受け止めないこと」です。

➡全ての元凶にあるのは思考と私を同一視してしまったことから生じていますね。これは、思考に主導権をだんだんと受け渡してしまったことで生じている多くの方に共通する現象ですね。この思考は、あらゆる習慣を私のものであるとして正当化するエネルギーでもあります。みなさんも経験したことがあるかもしれませんが、何かを止める選択をするときは、こういった思考の罠から意識的に離れていく方法として、皆さんは普段は使いこなしているんです。こういったことから、ある時からだんだんと知らないよう状態が続き、変わっていってしまっています。

そして後天的にあとから元々もっている資質でもある本当の私との出会いを果たすために、様々なイベントに出会うわけですね。その中で、幸運にもスピリチュアルな領域に足を踏み入れることができた時に、「気づき」「存在、あること」「条件づけられていない本来の意識」などに目覚めていくことになるわけですね。

叡智とは何か

叡智は、思考による産物ではありません。人や物事といった対象に、意識を100パーセント集中させるというシンプルな行動を通して湧き上がってくるのが、叡智であり、「深遠な知」です。意識を対象に集中させるという行動は、原初の知恵であり、「大いなる意識」そのものです

では、その根本的「幻想」とはなんでしょうか。それは、思考と「本当の自分」を同一視してしまうことです。

人類の進化の次なるステップは、「思考の超越」です。「思考と完全に一体になってしまうこと」、「思考に支配されること」を止めようと、いっているのです。

内なる身体「インナーボディ」のエネルギーを感じてください。たちまち雑音は消え失せるか、すくなくともボリュームダウンしていくはずです。

➡思考と叡智は性質をことなるものとしていますね。思考は自動で猿のようにうごめいていますし、心が騒がしいときには、勢いを増して動いていますね。これとは別にものすごい静かで平穏な時におきるのが智慧です。これは、ダウンロードのような形で即座に智慧の塊としてダウンロードされていく感覚を覚えますね。まるで塊のようなもので、それを言葉に変換すると大変な智慧であり、誰ともしれないところから、何の影響もうけることなく、急にもたらされてきます。こういった体験をすると、私たちは体験したものからしか、知識は生まれないというのは、違っていることにも気が付くようになります。

この智慧と思考というのは、この際に多くの人は気づかないでしょう。なぜなら思考が治まらない時というのは、思考優位となり、思考に先導されている状態といってよく、自身でもわからない状態で、思考によって行動をなんとなくしてしまっていることが起きているからです。智慧が生まれる時というのは、少なくとも思考が治まっているときは、思考の合間をもって瞬間的なサポートをうけるのですが、これを思考によって判断しようとすると、まった目測を誤ります。ですから、結果的には普段から心を平静にしていないと、こういった何が思考で、何が叡智で、何が体の中で起きていてなど、気づくことができない状態になってしまいます。

ここで言えることは静かでいるとです。心がですね。そして静かにインナーボディのエネルギーを感じみましょう。私たちのこの身には不思議な力が宿されています。神を似せて作ったのか、この体は不思議な力をもっているんです。単純に私たちが学問で学んだものとはちがい、この体には不思議なエネルギーが満ち溢れていることに、だんだんと気が付いてくるようになってくるんですね。

まとめ

今回は、思考の罠について、思考と叡智の違いを中心に学びを深めて頂きました。この思考との適度な距離を置くには、心の静寂が必要です。心の静寂については、前回の動画で上げさせていただきましたので、そちらを参考にしてみてください。また思考がいろいろと動き回るのを感じ取ることができるようになったら、あまり真剣に考えることなく、勝手に動き回っているものとして少し客観的に捉えてみましょう。そうすることによって、思考の本来の性質、活用の仕方、叡智との違いに気がづいてくるようになってきます。そうすることによってスピリチュアルな一歩をあゆむことができるようになってきますね。

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