瞑想のコツ|エゴを手放し真理への道を得るためにポイントとなること

瞑想について

はじめに

瞑想は目的を持たずにエゴから解放されることが肝要です。この瞑想プロセスは分離から統合への道の始まりです。次にあげるポイントを大切にし、瞑想をより深化させることに役立てていただければと思います。

脱力について

力を抜くことは、抵抗を生みます。ですからまずは力を抜きましょう。具体的には、子供のように抗重力筋による最小筋出力を維持することが重要です。この脱力により、体中の感覚が研ぎ澄まされ、気や波動を感じることが出発点になります。また、体のこわばりが解け、肩こりや腰痛などの痛みが軽減され、体調が改善されることがあります。脱力は瞑想を始める上での基盤であり、自分ではないものが瞑想をするスタートです。

姿勢について

必ずしも足を組む必要はありません。椅子に座っても良いです。むしろ足を組んで膝が床より浮いているほうがよくありません。座蒲(ざふ)で膝が床に着くように調整しましょう。そして背筋は伸ばすよう心掛けましょう。会陰と百会をつなげることで、エネルギーの流れが促進されます。昔は仙骨を立てるなどと表現したりもしました。背中を反りすぎると緊張を生みますから、リラックスしながら天地を結びつけるイメージで姿勢をとってください。ちょうど子供が座っている写真のように腰は反りすぎず、天地を天地を貫くセンターが大地とグランディングし、天と繋がりを保ちます。

呼吸について

呼吸は自然に行われています。心が静まると、呼吸も自然に整ってきます。無理にコントロールせず、自然体で瞑想に集中してください。はじめは丹田を意識して、空気が鼻から入って、おへそより下の下腹部に丸いふくらみを意識して呼吸しても良いです。お腹のふくらみは横隔膜が下がることによって充実した感覚を覚えることでしょう。

ただいきんだり、音を立てて呼吸することは避けましょう。慣れてきたら自然にゆだねて、意識的な行為で呼吸を続けないことで、エゴからの離脱を図ります。

動作について

からだを動かすのはエゴが関与する領域です。痛みや気になることを手放し、瞑想中の体の感覚に注意を払いましょう。痛みが生じた場合は、その痛みを観察し、ゆっくりと体の気づきを保ちながら動かすことで、痛みが軽減されることがあります。

集中する

自我が介在していない領域に注意を向けましょう。呼吸やおなかのふくらみ、体の感覚に集中することで、瞑想が深まります。人は刹那においてはシングルタスクです。ですから一つのことしか集中できないので、一つのことに本当に集中できると禅定に入ります。

幻覚や妄想に注意

幻覚、妄想 イメージを膨らませないようにしましょう。無意識に広がるイメージは、自我を刺激し、幻覚や妄想を生み出す可能性があります。初心者のうちは控え、瞑想の進行に従って、徐々に取り入れていくのが良いでしょう。波動が上がっていない状態で、瞑想をして幻覚や妄想をすると、魔に憑りつかれて、気づきを失います。キリストも仏陀でさえ魔とのやり取りがあったのを思い出してください。波動が上がることで、マスターたちとのつながりが初めて生まれます。

瞑想の時間

時間について 5分や10分から始めても効果がありますが、できるだけ30分以上を目指しましょう。初めは足が痛いことや雑念が入りやすいかもしれませんが、継続することで徐々に長時間瞑想できるようになります。一日の中で積極的に何もしない時間を確保することも大切です。単に座り続けていただけで構いません。

思考

自動思考の生じ方を観察しましょう。集中から離れて思考に埋没したとき、なぜその自動思考が生まれたのか。自動思考は複雑な因縁によって生じており、自分で行っているわけではありません。この辺りは何を言っているのか、はじめはわからないかもしれませんが、いずれ体感するようになります。とにかく気づいたら手放してください。これが覚醒へのきっかけとなります。

また思考は瞑想実戦のトラップになります。考えることでより考えが生じ、考えはとらわれを生み、考えから抜け出すことが難しくなります。

視覚の活用について

目で見えるものは実際には見ていません。目を開いても閉じても構いませんが、開いている場合は正しい姿勢で固定した視点をキープすると良いでしょう。そのうちに、コツがわかってきます。何かを考え見ることではありません。見るということから離れて見ることがわかってきます。宮本武蔵が目の居付くことを避けるために五輪の書の中でも「観の目強く」「見の目を弱く」と目の付けかたについて説明していますね。目を開いて瞑想をする場合には「観の目強く」です。対象を見ているようで見ていないんです。木鶏になるんですね。

聴覚の活用について

耳で聞こえるものは実際には聞いていません。音はただ音がするだけです。音を思考で何であるかを判断する必要はありません。思考が入れば、聞こえているものは対象物としての想像を引き起こし、自己が楽しむきっかけとなります。そのまま音として放置しておいてください。これも目の付け方と同様で、耳で聞こえているものに純粋になると、いわゆる人が考えている概念である聞こえるというとは違っていることに気づくことになろうかと思います。

まとめ

瞑想のプラクティスは、目的を持たずにエゴから解放され、分離から統合への天道を辿る旅です。この旅において、脱力は緊張をとき、抵抗する状態から受け身の状態へ変性します。これが感覚を研ぎ澄ませる出発点です。姿勢や呼吸、動作においては、自然体であることが重要であり、瞑想の基盤を築く要素となります。時間を掛けて長時間の瞑想を目指し、その中で身体や心の変化に気づくことが期待されます。気づくことで気づくことから離れていくと、真理の自覚が生まれます。

集中力を高めるためには、自我が介入していない領域に焦点を当てるため、感覚や呼吸に意識を集中させましょう。同時に、幻覚や妄想には慎重に取り組み、イメージを膨らませないように心がけます。思考の観察を通じて、思考がどのように生じているかを理解し、それを手放すことが覚醒への一歩となります。

視覚や聴覚においては、感覚に執着せず、ただ木鶏のごとく在るだけとなります。身体の奥深いリアクションに気づくことで、内なる自己と外部世界の調和していくようになります。

これらの要素を総合的に取り入れることで、身体、心、精神の調和が生まれ、深い意識の状態への探求が進むでしょう。新たな発見と気づきが待ち受けていますので、これらのポイントを踏まえて瞑想実践し、穏やかで意識の広がりを感じてみてください。

By天道

天道
天道

YouTubeで詳しく解説していますので、

もしよければご視聴ください。

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