【閲覧注意】2025年7月5日の罪と罰「予言や占いの真実」

スピリチュアルメッセージ

今回、7月5日の予言をめぐる一連の動きの中で、私は一貫して「恐怖や不安に振り回されないこと」の大切さを発信してきました。過去2回にわたり動画を投稿し、直近ではこの予言が注目されることで、今後の日本社会にどのような影響を与えるかについてもお話ししました。

一部のユーチューバーの中には、登録者数10万人を超えるような影響力のある方々が、恐怖や不安を煽るような発信を繰り返していました。そして多くの場合、7月5日を過ぎると、まるで何事もなかったかのように振る舞っています。

ただ今回の7月5日の大災害デマ情報によって経済的損失が5600億円になったという報道もされるまでの影響をもたらしました。このような事態にどのように向き合っていくのかがとても大切なことです。

こういった発信者側のモラルを考えた場合には、誰も責任を取ることなく終わってしまうことに非常に憤りを感じる方もいると思います。しかし、スピリチュアルな視点から見れば、人が発する言葉や行動はすべてカルマとして蓄積されていきます。ですから、誰かが責め立てる必要はありません。天地自然の法則に則って、それぞれが必要な報いを受け取ることになるでしょう。

特に今回目立ったのは、最初に不安を煽っておきながら、途中から発言の内容を曖昧にし、「世界線が変わった」「結果として良かった」と論調を変える人たちです。中には「備えが大切だったから、あの発信は必要だった」と正当化するケースも見られました。

しかし私は断言します。予言は必要ありません。

「明日のことは明日自身が思い煩えばよい」のです。

私たちが今すべきことは、恐れから行動するのではなく、「今この瞬間に最善を尽くすこと」です。

地震大国である日本に住む私たちにとって、日頃からの備えは当然のこと。そこに「不安や恐怖を煽る」必要など一切ありません。「備え」という言葉を盾に、恐怖心を刺激するような発信に意味はないのです。

今回の出来事を通して、私たちは「誰のどの言葉に耳を傾けるのか」を、これまで以上に見極めていく必要があります。

途中で主張を変えたり、動画を削除して「なかったこと」にするような人たちの言葉に、これからも従うべきかどうか。

その本質を見抜いていく目を、私たちは養っていかなければなりません。

ちなみにブッダは、占いや予言についてどのように言及したのか。

まず『アングッタラ・ニカーヤ』や『ディーガ・ニカーヤ』など、パーリ仏典の中で、ブッダは多くの「無益な行為」の一つとして、以下を挙げています。

「星占い、夢占い、鳥の飛び方による占い、骨や手相、天体の運行などによる吉凶判断は、正しい道に非ず。」

これは、真理の探究や解脱に関係のない、俗世的で煩悩を深めるものとして、精進するものが行うべきではないとしています。

また占いに依存することで「正見(しょうけん:正しい見解)」を失い、迷信や欲にとらわれる心が生まれる。それが無明(むみょう)を強める行為となり、結果として悪道(地獄・餓鬼・畜生)へ堕ちる原因になる可能性があるとしています。

つまり、占いや予言に執着することで、心曇らせ、ああ待った行為に導かれることが悪しき業(カルマ)になるという考えを示したのです。

そのうえで、スッタニパータで

「過去を追うことなかれ、未来を願うことなかれ、ただ現在の一瞬を見よ」と過去や未来に惑わされず、現在の心の状態を整えることこそが解脱の道であると説いているわけです。

同様に旧約聖書では

「あなたのうちに、占いやまじないを行なう者、死人に伺いを立てるものがいてはならない。主はこれらのことを行うものを忌み嫌われる」という一説があります。

マタイ伝では

「にせ予言者に気をつけなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼である。」

つまり、貪欲な心を曇らせた人間が、こういった予言をしていることに気づかなければならないことを示唆しているんですね。

ー中略ー

※中略部分については、ユーチューブにてご視聴ください。

ぜひ未来の不安な恐怖や混乱を促すような予言や占いを発信されるような方に惑わされることなく、今に向き合って毎日を大切に過ごしていただくことを切に願っています。

天導でした。

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