不思議体験!思考のない世界の入口「出来事が抜け落ちる」

スピリチュアルメッセージ

今回は、思考が働かない状態での出来事について、2025年3月7日にでふと体験したので、こういった出来事を皆さんに共有させて頂くのも悪くないなと思い、シェアさせて頂きます。

毎朝、飲みかけだったペットボトルのウーロン茶を飲んで、電車に乗るために階段を降りてから改札に向けて歩いてから、電車に乗るまでの時間の出来事がごっそり抜けている体験をしました。

電車に乗った時にふと、飲み干したウーロン茶のペットボトルどこにやったかなと思い、探してみると飲み干したウーロン茶のベッドボトルはきちんと捨てられていたことを知り、そもそも電車に乗るところから記憶がはっきりしているが、改札へ向かうために階段を下りてからの出来事がごっそり抜け落ちていることに気づきました。

みなさんはこういった経験はありますでしょうか。例えば、瞑想時にふと浮かんだ記憶がごそっと抜け落ちて、瞑想後に何を考えていたのか、そもそも瞑想があっという間に終わっているがしっかり時間が経過していることに気づいたりすることってありますかね。こうやって、自分が何をやったのかが完全に抜け落ちる時間を体験していきます。

よくゾーン状態と言われているにも近いものがありますね。最適にできごとが行われているので、自分がまるで行ったのではないと思えるようなパフォーマンスを行われることがありますね。

どちらにしてもきちんと行われているんですね。いわゆる疲れやストレスとは無縁の状態でないことは確認しないといけません。

この状態が思考がない状態で、きちんと全てが自動で行われている状態です。私がパーフェクトオートメーションと呼んでいる状態です。この天地自然は霊妙で、きちんと必要なことが必要なタイミングできちんと行われているということを示しています。

こうなっていくと全てが自分の執着によって記憶されている可能性があるとおもえますし、囚われが無い状態であれば、何も残らない形で全てが無為自然に行われる可能性があると思われるわけです。ふと浮かんだものは、とらわれない瞑想ができると、まったく記憶に残りません。何かがふと浮かんだことは覚えていても、何かがわからないなんて感じになります。

こういったことを経験する中で、この世界は何によって明確に有ると定義されたのかが、曖昧になって行くんですね。ある種、私は私であるとはっきりしている感覚が崩れていくわけです。

瞑想もザーッと何も残さず流れていくかのようですね。ふと浮かんでいるものもそうですし、見えているものや聞こえているものが、ただ在るだけになっていくと、対象のとらわれも全くなくなっていきます。こうなっていくと、何も残らない瞑想が行われていくようになっていくんですね。結局に、何もしない、ただ在るだけになって行く。瞑想の面白さは、こういったところにありますね。

自分の意思とはなんなのか。何にもしなくても、ちゃんと機能しているこの動きとはなんなのかとなっていきますね。

日常生活でも自分で考えた結論が、多くの場合、うまく行かない、無理をした選択になることが多くあります。みなさんもこういった体験ってありますかね。

私の場合、何か文章を書くときも、仕事で何かを決める時も、ほとんど考えることを辞めました。考えるとろくなことにならないからですね。考えることによって活動を活発化するのはほとんどの場合、エゴです。

ですから、エゴが必死に案を考えても、天地の流れに同調していないため、ほとんどが川のながれのようにスムーズに動かず、堰止めのような状態になることが多くあります。そして、エゴとは必死に考えてくれるんですけども、時間がかかります。合理性を追求して、色々考えて出来上がった世界は、多くの場合時間がかかった割には、何の成果も生み出さないなんてことが多かったりするんですね。

いわゆるこういったときに、誰が意思決定しているのか、誰が生み出したアイデアなのかも、私にとってはよくわかりません。私というものが、何かをしているわけではないんですね。こうやって不可思議な世界に入り込んでいくと、スピリチュアルな世界というのは、本当にあるという事に確信ができてくるんですね。ただ、これを欲求によって、行為を繰り返していくとどうなるかというと、鮮度が落ちるかのように、この機能してくれている力というのは失われていきます。

まあ当たり前と言えば当たり前ですね。

依存したり、とらわれたものが、何かを生み出すことは無いからです。何かに依存すると、それがとらわれとなり、力を失わせてしまうんですね。これは例えば瞑想でもそうです。

光が見えたとか、神様が見えたとか、そういった体験も初めての方にとっては、衝撃的な体験です。なぜなら、見えただけではなく、体感としてもとてつもない感覚を同時に覚えることが多いからです。それでそこを目的にしてしまうことが多くあります。求めてしまうんですね。求めてしまうと、現れませんね。

なぜかというととらわえれた世界にいないからです。とらわえれた世界は真相の世界を遠ざける魔の力を宿しています。ですから、何にもとらわれない状態の中でずっとただ在ることが私たちのスピリチュアルな探求の注意点になるんですね。

少し話がそれてしまいましたね。

世の中は不可思議の連続です。そして奇跡のような完璧な世界がたくさん現れてきます。スピリチュアルな探求は何物にもとらわれない中で、なにもが完璧に自動で行われていくぱーふぇくオートメーションなんです。そんな中で、日常生活や瞑想の中でも、何にも残っていない瞬間を多く体験することになろうかと思います。

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