【ブッダの教え】不安や恐怖に振り回されない心のあり方|『反応しない練習』草薙龍瞬著からの考察

本の紹介

全ての悩みは心の反応から始まっている。であれば、無駄な反応をしないことが重要です。そして反応しない練習をしていくことが大切です。

現在、様々な不安や恐怖などを誘発させる出来事が多く、このタイミングで一番大切なのは何かと感じたのは、ブッダの思想でした。ですので今回は、草薙龍瞬さんの「反応しない練習」という著書を踏まえて、ブッダの思想と反応しない練習についての考察をしたいと考えております。

ブッダが2500年前に行っていた方法は、瞑想として理解している人が多いと思いますが、瞑想自体は何をしているのかと考えた時に、「反応しない練習」というフレーズでとらえると実にユニークですね。

このタイトルを付けた方は、草薙龍瞬(くさなぎりゅうしゅん)さんと言います。僧侶としての肩書きもある方です。インド、ミャンマー、タイで仏教留学をしており、どちらかと言えば日本の仏教よりも原始仏教の思想が強い方です。また、どの程度修行された方かは私もわかりませんが、文章からはとても理路整然とした印象を受け、実践よりも仏教を学問でしっかりと学んできた印象を受けます。ですから、これだけ一般人向けにわかりやすく表現し、最も重要なブッダのメッセージを伝えているように感じました。

そして、「反応しない練習」というテーマに絞り、8万4千の法門と呼ばれている中から原始仏典を中心にまとめていることがとても素敵ですね。

まず最初にこの著書で一番大切なことは、全ての悩みはどれも心の反応から始まっているということ、そして無駄な反応をしないことが重要です。ということです。

いわばこれがこの本の結論です。いえ、正確には仏教の結論といってもよいくらい本質を迫っています。反応しない練習をどのように理解し、実践していくかが述べられています。それぞれのセンテンスごとに重要だと感じた内容を考察していきたいと思っています。

第一章 反応する前に「まず、理解する」

全ては心の反応だと言っているわけですね。私たちは、全ては心に基づき、心を主として心によって作り出される、とブッダが『ダンマパダ』で言った言葉は、最古の原始仏典の一つで述べられていることです。ブッダが現象を実際そのまま体感する修行をしたことにより、全ては心であると理解したのだと思います。真理は物心ついてから学んだ知識や概念ではありません。これを実際に全てゼロベースで瞑想しながら現象を見極めていったのがブッダだったんですね。

「苦しみがなぜ起こるのかを理解するがよい。苦しみをもたらしているのは、快(喜び)を求めてやまない“求める心”なのだ。初転法輪経サンユッタ・ニカーヤ P20

「求める心が、輪廻の洪水―満たされなさの繰り返し―を創っている。様々な欲求が奔流となり、この身を突き動かしている。人間は、越えがたい欲求の汚泥に埋まっている。スッタニパータ(戦いの手)の節

求める心のことを渇愛と表現してきた仏教に対して、「心は求め続けるもの」と理解すると、不思議な心境の変化が訪れることがあると著者はおっしゃっています。これは気づくことによる心境の変化ですね。世の中というのは気づくかどうかによって、視座が変わります。このブッダの真理の言葉を知る機会は、現代にとって非常に重要です。今よりも科学が進んでおらず、検証されたデータが少ない中で、本質を見抜く聖者の力は圧巻ですね。また、求める心が輪廻を創り出していると書いていますね。ブッダは輪廻の思想を否定していたと一部の学者が言っているようですが、私はこの当時の文化だけではなく、輪廻を否定しているとは思っていません。

第二章 良し悪しを「判断」しない

著者は、「いい・悪い」「好き・嫌い」をやめ、判断しないことを伝えていますね。判断が私たちの人生を支配していることが見えてきますとも言っていますね。これはとても大事な点です。判断は私たちの概念でこびりついた執着の一つだからです。判断をするというのは、どちらでもない真理の世界に、架空の執着による判断を結びつけるものと同様です。どんな現実にも良いも悪いもないわけですね。

この中に同様にブッダの言葉が引用されています。

「目覚めた者は、人間が語る見解、意見、知識や決まりごとに囚われない。彼は、良し悪しを判断しない。判断によって心を汚さない。心を乱す原因も作らない。ブッダは、正しい道(方法)のみを説く。かくして『わたしが』という自意識から自由でいる。」

スッタニパータ(心の清浄について)の節

この文章も突き刺さりますね。ジャッジしないことで、心を汚さないんです。ジャッジは逆に言うと心が汚れるということですね。判断した時の心にはクリアなエネルギーではなく、渇愛のエネルギーが放射されています。心が活動していると言っても良いですね。これが瞑想により微細な変化に気づく練習をすることによって感じられるようになります。すると判断することで生じていく心の変化にも気づきます。当然、感情の高まりの動きも微細に高速で捉えるので、感情が上がる瞬間に手放すこともできるようになってきます。心をクリアにしていく過程では、間違いなく判断しません。言い方を換えます。自動思考に囚われません。自動思考にしがみつくと、判断が生まれます。そのままにすると何も生じません。その繰り返しにより、想起される自動思考を消していったんですね。そして最後は「わたしが」がなくなっていったということですね。私がないという境地である有身見も捨てて言ったんですね。

第三章 マイナス感情で「損しない」

「ムダな感情を防ぐ」上で、一番重要なのは、最初から「反応しない」という前提に立つことです。ブッダは普通の人なら腹を立てるようなことを言われても「無反応」で返しました、とも書いていますね。そして「反応しないことが最高の勝利である」と記載されています。

ブッダは対機説法であったと言われています。ですから、質問された対象者に合わせて対応していたわけですね。それが8万4千の法門になったきっかけとも考えることができます。これは相手の成長に合わせてと一般的には考えますが、ここでわかるのは、相手の執着や判断への手放しの進み具合によって変えたと考えることもできますね。人は素直に話を聞けなくなってきます。そのままに内容を受け取れず、判断というフィルターを通して聞いたりしますからね。その辺りもシュチュエーショナルな状況に合わせて対応してきたのだと思います。

もう一つ大事なことを言っていました。それは過去は「忘れる」記憶を相手にしないでした。過去を引きずらず、忘れることということですね。過去を思い出して、「記憶」に反応して、新しい怒りを生んでいるというのが、怒りが消えない本当の理由とおっしゃっています。さらに怒りに実は「相手は関係がない」とも言っている。

著書でも一部触れていますが、無常という概念ですね。昨日と同じ人物ではない、それは「心が変わっている」からとおっしゃっていますね。

第四章 他人の目から「自由になる」

著者は、比較して自分の位置を測ることによって、承認欲求を満たして安心したいのだということを述べていますね。集中することや無心に行う作務を例に挙げ、他人と比べることや優劣を競うことから離れることを推奨していますね。

何かをするときに、ただするということやすぐに行うことは有効だったりしますね。誰かがやっているから、流行っているから、他人に喜ばれるからといった理由ではなく、考える隙を与えず、どんどん行動する。一瞬でも嫌だなという思考が想起される前に体を動かすなど、日々の工夫の中でも比較せずに没頭することは習慣で身に着けられます。これは他人の目を気にしないということと、本当の意味で束縛されない自由さを感じられるほど充実した感覚を体験するためのコツだと思っています。誰の目も気にせず、いまに集中して、自身の行うべきことをただ行う。なぜならそこに深い意味なんてないです。言い換えれば、一つ一つの行為には意味なんてありません。ここに頭が入ると虚無感が想起されてくるんですね。

まとめ 考える「基準」を持つ

正しい心に「戻る」。何度でも。1日に何度でも、何カ月でも、何年でも「正しい心がけに戻る」こと。そこから再び“生きて”みること。そうした心がけが、幸せへと導いてくれるのです。納得が大事であること、反応せず、心を見つめて、「正しい心がけ」にもとづき納得できるように、最初からスタートすればよい。

ブッダは善(クサラ)善いと思える心境を求めて出家したとされています。ブッダは自分を拠り所とするなとおっしゃっていますね。偶像崇拝など求めていなかったわけです。何を拠り所にするのかというと、自分を拠り所にせよ、法を拠り所にせよと言ったわけです。これを自灯明、法灯明と言っていますね。著書中でも自灯明を大切にした表現となっているように感じました。私もそう思います。私は自分が最も良いと思える選択をし続けることが結果的に世のため人のためになると感じます。最善も無常です。変化を自身の中で受け入れていくわけです。ですから常に自分の心に尋ね、最も最善を選択していくことで、結果的に法に通じていくことになり、誰かに頼ったり比較したりすることなく、自身の心にフォーカスして、よりよき人生を進む道しるべになるのではないかと思いました。

■引用参考文献『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬著 KADOKAWA/中経出版

詳しくはYouTubeをご参照ください

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