最近の日本で起きているスピリチュアルな発信について
日本ではかなりのインバウンド需要によって、多くの外国人が日本に訪れていますね。これは、一般的には日本の物価が安く円安が続いたことで、海外の観光客にとっては、日本は非常に訪れやすい国になっている現状があるかと思います。また大阪万博なども開催されており、大阪もすごいことになっていますね。東京も渋谷はすごい数の外国人がいて、日本人のほうが少ないのではと感じる状況です。
こういった海外の方々が旅行されて、体験されていく日本には、日本の文化的なものも十分に感じていくかと思います。アニメの影響もありよね。日本のアニメって面白いのは、スピリチュアルな点が非常に多いですね。アニメって、目に見えないものを可視化したようなシーンが多く、作者が日本人の潜在的な何かを感じて描いているためか、そういった内容が多く、それはまさに日本の霊的側面を感じさせる趣を放っています。まさにすべては完璧なリズムで行われています。日本の文化を感じる機会とでもいうべきように大量の海外の方々が押し寄せているわけです。
同時に日本では多くのスピリチュアルな解禁情報が増えてきています。いままで秘匿情報として、人々に知らせてはいけないというものが、次々と解禁されて、世の中に出ていますね。また同時に、悟りや覚醒に対する高い技量を持っている方々が、情報を解禁し、教えたり関わることができる機会が増えています。外国人の日本への観光の前って、コロナウィルスの蔓延がありましたよね。実はこれで、ウィルスも目に見えないわけで、目に見えない領域への意識転換や不安や混乱を軽減するメソッドとして、あらゆるスピリチュアルな内容が紹介されて、事実上の秘伝を守る物理的垣根が壊れてきたんですね。こんなタイミングとなっています。
2025年に起きていること
今年になって情報のオープン化とともに、もう一つ起きていると感じていることがあります。いままで関わることができないような方々も、お役目を終えたかのようにまた世の中に出てこない方も増えてきました。まるで、日本国内で必要な方々に必要なメッセージやエネルギー、技術をある一定層に伝授したら、次々にはけている感じが私としてはします。という私自身もそういった方に霊的能力があることを教えていただき、人々にもっとメッセージを伝えるようにと言われました。同時に、在ってからのその力がさらに開花したようにも思えています。何かされたんだろうなとも感じています。こんな状況をみなさんも感じてらっしゃいますか。例えば、瞑想については、ほとんど大切な情報は感度が高ければ、お金を払うまでもなく、必要な方に必要なメッセージが届きますし、悟りについてもかなりオープンになり、脳波の関係や科学的な因果関係も次々に明らかになってきましたね。
明治維新後の日本
日本人の力は、少し弱められたということを聞いたことがありますか。これは霊的な側面の力のことを指しています。大きな節目は何度も訪れています。一つ目は、明治維新。例えば有名な坂本龍馬は、ヒーローではないということですね。海外の資本家たちにうまく踊らされ、利用されていた側面がありました。当時から暗殺というのは、犯人が明らかにならないように、隠蔽されていますね。坂本龍馬も同様です。ここで一つ日本が戦争に向かう一歩を作り出されてしまったわけです。この後、大正時代で霊的な東洋の叡智が少しずつそぎ落とされています。最終的には戦争で無条件降伏して、意図して日本の霊的な力は減衰していったと感じています。
面白いのは、歩き方まで変わってしまったんですよ。明治の初めくらいの映像は、一部限りなく少ないですけど残っているのですが、着物を着ている人と西洋風の服に靴を履いている人間がいるのですが、着物を着ている人の歩き方を見ていると手を振って歩いている人なんでいないんですね。ただ靴を履いている人は、手を振り始めていることがわかります。これも一つの変化です。だからなんなのとなるかもしれませんが、これも手を振らないことで、腰をうまく活用して、実に落ち着き平和を感じる精神構造をはぐくんでいたわけですね。
いまやっていることは、実はこの力をもう一度呼びさます動きが起きています。2025年にはっきりとこういった方向が生まれています。一つは残念な流れではありますが、2025年7月5日の予言です。この予言には私は大きな意味はありませんし、人を惑わせる情報を流すことに対して、あまり良いとはいえない側面と感じてはいるのですが、この情報を活用することによって、多くの発信がなされて、何か日本の新たな方向性を起動させている、まるで起動スイッチが押されていったように感じます。
日本のこれからの方向
先ほども申し上げたように明治以降の近代化・産業化によって、肉体的労働や国家的目標、自我中心の価値観が強調されてきました。結果として、感覚的・霊的な側面は後景へと追いやられたと言えます。言い方を変えると、西洋文明で起きている一つの潮流というのは、自我中心の社会、目に見えるものを中心としてとらえる社会構造なわけです。そしてどんどん物質化していく、創り上げたものももう一度買ってもらえるように、ある程度で壊れる仕掛けまで作っています。例えば、電球は100年持つものが当時作ら得ていましたが、現在は、ある程度たつと壊れるようにできています。これによって、何が起きているのかというと、世界的な調和が崩れている、バランスが壊れ始めています。地球環境破壊が侵食して、人類の今後の大きな問題になっていく、それが顕在化されていく未来が待っている状況になっています。これは西洋文明の非常に欲望に流されていく人間の一番悪しき方向への転換を促す可能性があるスイッチを押し続けているような精神構造をはぐくみます。
こんな中で日本がこれから多くの人の目覚めた人間を発出していくのように私は感じています。これを出口王仁三郎氏の言葉を借りれば、体主霊従(たいしゅれいじゅう)から霊主体従(れいしゅたいじゅう)への転換です。つまり肉体や自我が主役の小我から、本来の霊的な働きが開花した霊を先におく、つまり目に見えない感覚を大切にするあらたな霊的社会への創造の一歩を踏んでいく可能性があると私は感じています。
少なくとも2年~3年前の状況と今の日本の状況というのは全く異なる状況にあります。簡単に霊主体従の方向にもっていくことができる基盤が整いつつあるわけです。これから目に見えないものを大切にする日本の本来の姿への転換が行われていきます。この流れに乗るか乗らないかは、その人次第なのですが、日本の地のエネルギーが一気に方向転換されていますので、こういった時流にのることが、容易になっていくのは間違いありません。
ここまで話して何を根拠にと言われると、実は根拠がないのです。目に見えないものと目に見えるものを融合して、毎日の中に祈りや瞑想を取り入れた生活をしていくことで、必要な情報があつまり、ひつような直観が降りてきて、日本がこれから進んでいく未来が完治されているということです。日本にはお筆先という言葉がありますね。この精度はそこまで制度は高いかはわかりませんが、次々にとめどなく流れてくる情報を下ろしていく作業を多くの方が行うようになってくると思います。こういった能力もこの時代は簡単にできるようになってくるわけです。なぜかわかりますか霊が主体になると、自分というものがなくなってくるからですね。そうすると自分ではない力によって、情報の転換作業が起きてきて、何とも言えない形で、いわゆる自我、自分というものを超えた日常の行いや、言葉などがとめどなく流れていることに気づくようになってきます。これに限らずやおろずの神々を敬っていた日本人は、自然と融和し、調和し、大きく争うのではなく調和することによって、暮らしを営んできた民族です。これはまれにみることであり、世界が今後模倣していく在り方なんです。在り方というのものは、教えるということでなく、示していくものです。そうやって自然と染み渡っていくことでだんだんと確立していくものです。こういったことができる力を日本人は宿しています。そしてその気持ちがあれば、前に一歩進むことができるのです。
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