私たちが生きているこの世界というのは、非常に摩訶不思議です。なぜなら二つの側面を持っているからです。動いているようで動いていない、決めているようで決めていない、生きているようで生きていない、どちらの側面でも語れる状況にあります。
何が起きているのかというのは、量子力学の世界でも一端を示させていますね、観測者がいることで波の性質が粒の性質になるという、観測者がいることで同じ現象にならないという世界なわけです。
量子力学での観測者の視点というのは、この世は観察されるまでは存在しないという考えと言われている側面がありますが、私が瞑想やスピリチュアルな体験で感じているのは、まさに心理学者のアドラーの考える世界に近く、意味づけするのは私たち次第であるということです。
つまり何もなく全てが包括されている空の世界に私たちがあったとします。そこに意味づけや認識をすることで、世界を構成しているということです。これは、世界は色眼鏡や映画の世界、幻想の世界という表現で言われていることに類似します。
ここでもう少し補足しますと。私たちは意味づけした世界にいることが圧倒的に多いです。無意識にせよ意識的にせよ、何らかの意味づけをしているので、私たちは考えが浮かんだり、イメージが想起されたり、夢を見たりしているわけです。覚醒というのは、こういった状態から一旦抜けていき、空の世界に反転した瞬間を体感しているかが非常に重要な要素になります。
さきほど述べた空の世界というのがあったとしますといいましたが、空の世界に一瞥体験をすることで、私たちの世界が幻想であるとか、映画館の映写機のような状態である、意味づけしている世界であるということを本格的に浸透していきます。
ここからこの世界をもう少し深堀していきましょう。私たちの世界は色即是空空即是色です。空でもあり色でもあるということです。量子力学の粒と波ですね。こういったことが現実を作っているわけです。それも観測者はそれぞれの人です。つまり小宇宙です。それぞれの自身が見ている世界が重要で、周りは関係ないんですね。こういったことも語れます。そしてワンネスというのは、空なる一つの世界の中にあるわけですね。
こんな中で私たちは生きています。面白く摩訶不思議です。こういった世界に生まれています。
もう一つ重要な視点があります。意味づけ(思考)したことで世界の現実をはぐくみます。具現化しているわけですね。その人が幸せに感じるか不幸に感じるか、何が起きるかを決めて居る問う事になっているわけですね。この現象をかえるのは今です。なんでかというと、私たちは生きている世界というのは時間軸という構成はないです。今しかありません。全ての一瞬に縁起を通じて具現化しているわけです。ホメオスタシスのような形で意味づけも恒常化してしまうため、今の瞬間で変えることができない人が多く出ています。ただ本来の真理では後腐れなく、前後もない、すごい世界を生きています。こういった世界を理解していくと、瞑想による習熟はとても重要になってきます。つまり意味づけしている世界を手放してしまう数が多くなると、具現化するための力が身に付き始めます。これはいわゆる引き寄せに関連します。筋肉もそうですが、大きな力を出すためには、力を大きく抜くことができることが重要です。こういった形で考えるイメージなどが溢れて、つまり頭が妄想などで埋め尽くされている状態というのは、結果的には望む姿を実現するためのエネルギーに転換できません。ですから、こういったものを転換するためには、できるだけ考えるという状態から離れていく必要があります。私たちは、何もないなにもがある世界に、意味づけをすることで想像ができ具現化することができるわけです。
ここまで話して意味づけについて話していきますが、全て空なる世界は色なる世界として、全て内包されている世界にいます。これをゼロポイントフィールドと表現されている世界に類似しているように思われます。私たちは何かをイメージしたり考えたりするなかで、自身が見たい世界を見ているような感じです。これを逆手に利用すれば引き寄せです。そしてそれをするためには、先程のべたように、ゼロポジションではないですが、思考のない領域から変化を起こすことができます。思考のない領域から、思考によるチョイスが行われ、現実が結実していく。空のようなすべてを有している世界から一つの結実した現実を作り出しているのが私たち一人一人の姿です。
ここまで語ってきましたが、これは言語による概念がありません。つまりここまで話してきたものが雲散霧消という状況です。つまり言葉で語れる領域でないものを無理やり言語化する作業を、覚者たちが行ってきたわけですね。ではこれを最低限の日本語で表すと、コレしかない世界です。コレ、以上。おしまいです。
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