【ブッダの教え】風の時代に必要な原始仏典から学ぶ深い智慧「心の原点と輪廻の思想」

本の紹介

今回は、風の時代になって様々な情報が開示され、今まで常識と思っていたものが常識ではなくなり、価値観の転換が起きている現代だからこそ必要なブッダの教えについて、「すべての原点である心について」「輪廻の思想について」を原始仏典を中心に紹介させて頂きながら、所感をまとめました。

なぜ原始仏典なのかというと、仏教も宗派が分かれてから様々な経典があるものの、ブッダの教えとしてとても心に響く、シンプルで奥深い教えは原始仏典だと感じています。ブッダは直接自身の話した内容をまとめていません。ブッダの話した内容は、はじめは口伝で伝承されていきました。そのなかでもブッダが入滅してからまとめられた初期の仏典は、ブッダが入滅してから100年以上経ってからできているわけです。ただ少なくともこの紀元前のものと言われている初期の仏典は、まるで詩のようであり、とても味わい深い響きを放っているんです。何かブッダに直接触れているかのような感覚を覚える方もいるでしょう。その中でも『スッタニパータ』『ダンマパダ』に関しては、ブッダの教えの本質を示すヒントが隠れており、現代の最新科学にも通じ、真理に対するストレートな内容と心の深いところに響く味わいがあります。ぜひ心で感じて頂きたいと思っていますので、中村元先生の訳された書籍を交えて、私の所感も交えていきたいと思います。

1.全ての原点である心について

心に基づくという視点がブッダの教えの原点と私は感じています。私たちは生きていくと出来事による心の反応によって、楽しんだり苦しんだりしているわけです。ですから心にどのように向き合うのかが大切だよとブッダは教えてくれているんですね。わかると思いますが、現代人は自身の心に向き合うことがほとんどないです。心をないがしろにして、人生を生きて、ある閾値を超えた時に心身が不調をきたしてしまうことがあるわけです。心にどのように向き合うのかは、結局周りへの影響も同時に発生しますから、心に向き合うことによって周囲を幸せにしたい、地域や国を幸せにすることにつながるわけです。この心はどのようにあったら良いのか。こちらについても言及していますね。善いことをしなさい、悪いことはしないようにしようと投げかけていますね。こころ知るためにはカルマとか輪廻を知らなければならないのと同時に、この因果法則を感知する能力も磨く必要があるかと感じていますが、人生は自身がどのような心のあり様で過ごしたかの積み重ねで全てがきまると言って良いです。さらに言うとその心のあり様が、常態化した上で、死の瞬間に起きる心の状態がどうあるのかが、仏教では大切にされています。これは縁起という考え方ですね。死の瞬間の心の状態が、次の転生を決めている可能性が捉えられたことでこのような話があります。こういった因果を感知することができると、この内容は非常に深みを帯びてくるのと、実践につながっていきます。またこの世界は、ブッダだけではなく、7仏の共通の教えでしたよとも話されているんです。とにかくまずはじまりは、心にフォーカスして、自身のあり様をブッダの教えの通り実行することで、人生が大きく転じていくことになり、その工程を体験する中で、この法則が実際のものであることを感受するに至ります。ですから学ぶだけはなく、ブッダの教えはあくまでも実践の中にヒントが隠されています。ぜひトライしてみましょう。が心から生じているときに、過去の7仏は何と言っていたのかに書いている七仏通誡偈のことも含めて話している。つまり「諸悪莫作,衆善奉行,自浄其意,是諸仏教 (あらゆる悪をなさず,もろもろの善を実行し,みずからその心を清らかにすること,これこそ諸仏の教えである) 」という意味の詩。

2.輪廻の思想について

ブッダの時代は、輪廻思想は一般的であったと言われています。そしてブッダ自身も輪廻の思想を語っています。日本ではあまりブッダが輪廻について語ったなんて話はなく、むしろ否定している方もいるかもしれませんが、ここをないがしろにしては、本当のブッダの教えにはつながらないように私は感じています。因果法則、何かをするとそれが後に影響するということですね。善いことをすると善いことがおきて、悪いことをすると悪いことが起きる。これは理解が難しいかもしれません。輪廻の視点があれば、何度も生を受けて様々なカルマを積んでいるからです。その結実したのが今ですが、この今において複雑な因果がしぼり立ての牛乳のように熟成されて今を形成しています。ですからいつ現れるかわからないのがカルマなんです。何が必要か。今から良きことで自身を満たしていきましょう。またカルマを積まない暮らしを、現代という難しい環境でも少しずつ実践していくことが大切です。そのためには心に生じる反応に気づきを入れる必要があります。この出発点は、心が静かになっているという事なんですね。一番わかりやすいのが瞑想や坐禅なんですね。心身を落ち着けてみると、自身に生じる思いを気付きにより感受することができます。その様子をまずは観察してみるんです。観察者は手を付けた状態ですが、まずはそこからでも良いと私は感じています。静かでないとわかりづらいので、瞑想や坐禅が有効と言われていると私は感じています。内側にフォーカスする習慣をつけることで、だんだんと日常のせわしい環境の中でも、心の状態が比較的静まり、気づきが入るようになります。これは瞬間で生じる感情の出発点をとらえることも可能になってきますから、手を付けない限りは何も生じません。手を付けないことを、わかりやすくいうと手放すといったわけです。禅の世界では手をつけません。気づきもいれません。何もしません。これは究極のあり様から実践している状態ですが、何もしなければカルマは生じません。つまり白隠禅師の言われたように、坐禅が正しく行えた状態であれば、積みし無量の積む滅ぶわけですね。そして「諸々のよこしまな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを備えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることはないであろう」というように人間には生まれ変わりません。つまり解脱します。

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