ブッダの教え】言葉に気をつけよ「口からは禍の斧が生じている」

ブッダの思想

今回は、原始仏典の中から言葉に関するブッダの教えを交えて、話すことについて考え方を皆さんと考えていければと思いました。ぜひ最後までご視聴いただければ幸いです。

1つ目:口からは禍の斧が生じている。

 

ブッダは次のようにおっしゃっています。

人が生まれたときには、禍の斧が生じている。

人は悪口を語り、その斧によって自分自身を斬るのである。

ウダーナヴァルガ 第8章 ことば

言葉って武器ですね。斧といっていますからね。つまり言葉というものは、とても気を付けるものということですね。この行きつく先というのは、沈黙になります。言葉は、究極的に言えば真実を語りません。どこか歪んでしまい、真相から離れてしまう。そして人間は、言葉を使って、コミュニケーションをとる手段を得ましたが、同時に人を傷つけたり苦しめたりする道具としても活用しています。そして思考の促進剤として、より欲求を増大させてします危険もはらんでいます。

2つ目、言葉を慎むこと

ブッダは次のようにもおっしゃっています。

ことばで過ちを犯さないように

まもり落ち着けよ

言葉について、慎んでおれ、

言葉による行いを捨てて

言葉によって善行を行え

ウダーナヴァルガ

ブッダはできるだけ慎んでいるように伝えました。これを守ると、非常に静かな人にうつるでしょう。ただ言葉が必要な時に、しっかり選んで話すことによって、言葉による力というのは強まってきますね。普段から軽率に発言している人とは重みが変わってきます。ですからできるだけ静かに暮らし、必要な時に使う道具として使用することが大切ですね。

少し戻りますが、ブッダがいったこの言葉、口が禍の斧だとすれば、斧はどのように扱えば、人を傷づけたりしないのでしょうか。すくなくともいえることが丁寧に扱うということですね。雑に扱えば、自らを傷つける恐れもある道具ですよね。ですから、丁寧に扱うことですね。

3、荒々しい言葉を言うなかれ

ブッダは次のようにおっしゃっています。

荒々しいことばを言うな

言われた人々は汝に言い返すであろう

怒りを含んだことばは苦痛である

報復が汝の身に至るであろう

ダンマパダ

言葉によって怒りを伝えてしまえば、それは、結果として自身にも帰ってきます。まず自身のその言動によって、自身に帰ってくるんですね。人は相手にメッセージを伝えると同時に、自分にもその内容が返ってきますね。これはオークラインと表現されたりもします。それによって自身が気づくわけですけども、怒りというのは、自身を傷つける行為でもあります。そもそも体から発せられるエネルギーは、とても不浄なエネルギーで細胞を傷つけているように感じますし、さらに相手を傷つけて、自身もその言葉によって傷つくわけです。ある種、私たちは話している言葉自体が、自分を表しており、自分に言っているのと同じです。相手に伝える行為は、自分に伝える行為でもあるわけです。当然ながら、相手にからの報復もあるかもしれませんね。逆に怒りの言葉は、相手の怒りの言葉を生む連鎖を生む可能性がります。そうすると相手もその自身の言葉によって、自分を傷つける行為となります。この連鎖を集団に対してやってみたと想像してください。その怒りの言動に、反応した人間は、怒りの感情を生み、結果としてより連鎖的に怒りのスパイラルを起こしているわけです。これを悪用すればプロパガンダのような形で、負の連鎖が生まれ、暴力的、破壊的なエネルギーを増大させていきます。そうやって争いが生まれてきました。そのきっかけは怒りを伴った言動によるエネルギーの連鎖によるものですね。となった時にどのようなメッセージを伝えればよいですか。

4.好ましい言葉の身を語ること

ブッダは次のようにおっしゃっています。

好ましいことばのみを語れ

その言葉は人々に歓び迎えられる

つねに好ましいことばのみを語っているならば

それによって(ひとの)悪意を身に受けることがない。

ウダーナヴァルガ

好ましい言葉を使うこと、つまり言葉は選ばれて使うものです、自らの気づきにより自制されていく。自身のより良き人生を選択するかのように、気づきの力を使って、常に選択されていくものなのです。より良き言葉の繰り返しにより、より良き言葉の習慣が身につき、より良き縁起が生じ、より良き言葉はより自動で生まれるようになります。そしてそれがより良き世界を、自身の周りに引き寄せていく。このように世界は、できていますね。ブッダは悪意を身に受けることがないとも言っています。悪意を持っている人というのは、やはりその因縁を宿している人を感じ取り、その人の近くにいることを望みます。なぜならば人は共感されたりすることによって、自身のその中核となるエネルギーを増大させたいと深層では思っているからですね。ですから、波長が合わないと周波数が合わないと、それぞれが近くにお互いに寄らなくなってきます。これは、皆さんも日々の生活で感じていることでしょう。同じような周波数の人が集まります。ですから言葉が美しい人には、言葉が美しい人が集まりますし、言葉が荒々しい人には、言葉が荒々しい人が集まります。このように世界ができています。ですから言葉一つとってみても、私たちの世界には、深遠な世界があり、それをブッダは、わかりやすく説いているのだと思います。

 

5.さいごに 嘘をつかないこと

ブッダは、嘘をつくなとおっしゃっていますね。

私もこの嘘をつく偽りを語ることについては、極力気を付けなければならないことだと思っています。人間は良きにつけ悪しきにつけ言葉をそのまま受け取るしかできないですね。そもそも伝達する手段として発達しているので、この前提は偽りを語らないことなんですね。それを嘘をついて、人をだましたりすることがあったら、すべてを崩してしまうわけです。ですからこの嘘をつくということを平気でする人は、どんな犯罪でもするとブッダはいっています。ですから、在家の信者の人にも5戒という5つの中の一つに入れているくらい戒めている内容です。つまりブッダは言葉の中でも嘘だけはつかないということにプライオリティを付けているわけですね。

ダンマパダの言葉をさいごに引用します。

いつわりを語る人、あるいは自分がしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人。この両者は死後にはひとしくなる、来世では行いの下劣な業をもった人々なのであるから。

つまり嘘をつく人は、来世では下劣なカルマを持ってしまう。だから止めなさいと言っているんですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました