キリストとブッダの悪魔との対峙から学ぶスピリチュアルな真実

スピリチュアルメッセージ

今回はブッダやキリストが最終局面で行った悪魔との対峙から学ぶというものです。

ブッダは悟りを開く瞬間に瞑想をして、マーラとの対峙をしています。それを克服した後に明けの明星にて悟りを開いています。キリストは40日の断食のすえサタンと対峙で対応し、覚醒をしました。

ブッダのマーラとはというのは、誤解を恐れずにいうと悪魔です。煩悩や恐怖を具現化した存在として、瞑想中に何度も現れています。一つは官能的な誘惑として若い3人の娘が、美しい舞踏と歌声で心で誘惑をした。恐怖による威嚇で大軍を差し向けて、矢や槍をを乱射させてたりとしたりしていました。

キリストのサタンも、同じく誤解を恐れずにいうと悪魔です。この石をパンに変えてみせよといったり、神の子なら今ここから飛び降りてみよ、あなたに全世界を与えようとしたとされていますね。

逆に言えば、最終段階まで悪魔的存在は、ブッダやキリストにも表れており、世界最高峰の聖者でさえ、最終段階にならなければ悪魔は現れていたということです。

私はこの点を考えた場合には、世界であふれているスピリチュアルの実践に対する発信者のほとんどは、悪魔との対峙を終えていないということです。私も含めてです。

ここで残念なのは、中途半端な状態で情報を発信していることが多いため、正しい道を知らないスピリチュアル実践者は、悪魔のささやきによる誤った道への展開をしていることに気づかないケースが目立っています。

一つはチャネリングです。チャネリングは術者の周波数が非常に高くないと、低俗な霊的同調がおきて、結果的には誤った発信を行います。まさにチャネリングによって、乗っ取りのような状態が起きて、あまり有効ではない誤った情報を発信し、低俗な霊を喜ばせて、自身を依存させて、受信者の自律を遠ざけてしまっているケースが起きています。この結果、関連する人は、すべて魂の成長を停滞させてしまっているという破壊的ケースが起きています。破壊的といったのは、悪魔の望むところですからね。

ではどのような発信かというと、特徴は不安や恐怖、執着という、無条件の愛に根ざした情報発信でないケースです。その多くは予言や不安をあおり、魂の成長を妨げてしまっています。

もう一つは、高額なセミナー勧誘です。お金を取るということは、イメージ通り悪魔のいざないに負けていっているケースです。特にスピリチュアルなテーマを扱う場合には、高額な費用を請求し、ビジネス化してしまっている人は、ほとんどの方は、カルマを蓄積し、能力が減退します。霊的な行為は、聖なる行為です。お金を否定しないとか、お金を大切にするということは重要ですが、残念ながらお金を生み出したのは支配者の仕組みです。支配者という視点を持っている方の力は悪魔とのつながりによってですから、相容れないものになってしまいます。ですので霊的なことを発信したりセミナーをやるということは非常に気を付けていく必要があります。私の場合も、想像していただければわかりますが、動画編集などにかかるランニングコストを考えていただければ、ほぼ時間だけかかっていますが、発信はほぼボランティアでやっています。

同様に占いや予言も何の意味もない発信なのですが、こういったことに惑わされていると、ほとんど正しい見方で霊的世界をとらえることが出ていません。これは最終的には、お金の消費と執着からの離脱が叶わず、多くの時間を幻想にとらわれて生きることになってしまうので、気を付けなければなりません。

ここまで話してでは、ほとんどすべての人が道半ばですので、悪魔との対峙を解決していません。其のうえで理解してほしいのは、霊的成長をある程度遂げていく過程で、必ず正しい道から迷いがなくなり、逸脱した生き方ができなくなります。それと同時に、何が正しいのかがある程度見えるようになってくるんですね。この段階まで瞑想などを通じて、高めていく必要があります。その過程ではいくつかの覚醒体験をしていく必要があり、ゆるぎない核心の上で進んでいくうえで、おそらく誤った情報に触れても、惑わされることは無くなります。そこまではちょっと大変でも、真剣に時間をかけて対応していく必要があります。つまりわかりやすくいうと、どこかの瞬間で疑いが晴れる瞬間がきます、この道が間違いないという確信が生まれるところまで行くということです。

まとめ

今日はキリストとブッダの悪魔との対峙を踏まえて、お話をさせていただきました。この二人の聖者がとてつもない道を歩み、世界に光の道を指示してくれました。あらためて感謝していくことが重要ですね。

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