【緊急配信!】世界の終末思想や2025年7月の予言よりも皆さんがすべきこと

スピリチュアルメッセージ

最近は、スピリチュアル界隈では終末思想や2025年7月の予言の話でいっぱいです。こういった不安をあおっている人の状態をみると、ほとんどの人が覚醒や統合を体験していない方が多いです。ですから面白可笑しく語っている人が多いんですね。当然、発言することで生じる因果法則なども理解せず、どんどん無秩序に語っています。今回は、そういった発言に対しての皆さんの対応方法について紹介したいと思います。それでは早速始めていきます。

1つ目:終末思想や予言に対する向き合い方

皆さんは、こういった終末思想や予言に興味がありますか。そうすると、私の話をきいて視点が切り替わらないと、どんどんそういった情報を収集してしまうでしょう。こういった話は、想像を掻き立てる要素があります。なぜかといえば、まだ来ていないからです。どうとでも想像できる問題ですからね。アニメの世界って面白いですよね。なんでも想像できますし、人間の能力にも限界もないです。魔法も使えちゃって、神様も呼べちゃいます。なんでもできるわけです。これは終末思想や予言にもいえることです。なんでもいえちゃうんですね。クリエイターにとっては格好の材料でもあります。

またこういった未来を予測するというのは、皆さんの深層心理に影響を与えてしまっています。むしろもっと表面化して不安や恐怖を感じている方もいると思います。なんで皆さんは不安や恐怖を感じるかといえば、それは未来でまだ起きていないからです。起きていないことや、見えないこと、こういったことは不安や恐怖を感じやすいテーマです。もっとスピリチュアル的に考えていくと、未来のことは未来自身が考えることです。私たちが考えるテーマでもありません。また最もマイナスな視点でいえば、未来から現実を引き寄せる法則というのがあります。ですから未来を予言した内容をみて不安や恐怖を感じる体験を引き寄せてしまう危険性も秘めているわけです。

これら終末思想や予言を発信している人の一番の問題は、責任をとらないことですね。発信したメッセージに関していった責任をとらず、当たっても当たらなくても、人々にもたらした発言に対して無関心です。そして当たらなかったら、なかったかのようにやり過ごそうとします。ただスピリチュアル的にはカルマが発生しますので責任をとることになりますが、すくなくとも表層的には責任感がないですね。

過去の外れた例をここで紹介しましょう。

1.ノストラダムの1999年の「世界の終わり」

16世紀の予言者ノストラダムスは、「1999年7月に空から恐怖の大王が降りてくる」という詩を書き残しました。この詩が「世界の終わり」を予測していると解釈され、1990年代にはとても話題になりましたが、何も起きませんでした。これをもとに、人生を棒に振ったエピソードもいくつも話がありますね。

 

2.マヤ文明の「2012年終末説」

マヤ文明の暦が2012年12月21日で一区切りを迎えるから、この日が「世界の終末」を意味しているとする説が一部で普及しました。 「終末」が描かれましたが、2012年12月21日は何事もなく過ぎて、終末は訪れませんでした。

 

3.南海トラフ自身が2024年8月14日におきるという予言

2052年から来た未来人の発言が、2018年1月にツイートしたことで始まっています。これがまことしやかに拡散されたものですが、この日は何も起きませんでしたね。私は予言を気にしないので、普通にこのエリアを旅行していましたが、外国人も少なくとても快適な旅ができました。

このように予言が当たっても当たらなくても誰も責任取らず、話題性を取り上げて、面白おかしく不安や恐怖を拡散するんですね。

話を戻しますが

結局、例えば2025年7月の話をしている人が、何も起きなかったときに、いつも起きているパターンでいうと、まるでなかったように別の話をし始めます。みなさんが不安や恐怖を感じていたことに対する責任はとらないんです。ここに注目してください。皆さん過去に発言されたスピリチュアルな発信者の無責任さはこういったところにあります。これは何を意味するのかというと、真理ではないということです。真相を語っていない。スピリチュアルエンターテイメントになってしまっています。見えない世界は、アニメと同じです。ですからいくらでもクリエイトできます。ですから嘘との見分けがつきにくいわけですね。でそれを信じた人のなかでもこういった未来に関する話は不安と恐怖を誘発させてしまっているわけですね。

 

2つ目:みなさんがすること

皆さんがすることは、今を生きることです。未来に一喜一憂している必要はありません。なぜなら時間軸なんてありません。今しか生きていないのが人間です。ですから今目の前で起きていることに最善を尽くしていけばよいんです。そして極端に言えばスピリチュアルなんて考える必要はありません。皆さんが、今この瞬間にもう少し自身がよりよき存在としてふるまうとしたらどんな発言がふさわしく、どんな行動がふさわしいのか、それを実践してれば、スピリチュアルな生き方をしていることになります。

私が皆さんに一番伝えたいことは、未来を想像したり、これからどうしようはスピリチュアルな生き方に必要ありません。準備や備えをするために未来予測をみなさんに話しているという方もいますが、これもスピリチュアルな発想とは真逆です。今から離れて、不安を取り除こうとさせてしまっています。スピリチュアルな解決は、この不安や恐怖をどうすれば心穏やかに日々を暮らすことができますかなのに、不安や恐怖をもたらせる発信をしてしまっています。では備えや準備は必要かということですが、本当にスピリチュアルに生きるということは今を生きることです。そして今この瞬間を大切に生きることで、大丈夫だね、本当に穏やかで完璧な世界だねと確信することです。ですから今どうするのかだけを心掛けてください。これを漢字としては昔から念といいましたね。念ずるということが力になるのは皆さんもしっているかもしれませんが、これは今の心です。今の心のままに生きる、今の心で生きることがすべてです。そうすると不安や恐怖は軽減されていきます。なぜかと話すと長くなってしまいますので、実践してみてください。そうするとこうゆうことなんだなと、皆さんの身心は素晴らしき機能を有しているので、教えてくれます。そうすると楽しく、心穏やかな生活が送ることができますよ。

 

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